阿武咲奎也(おうのしょう ふみや)は、青森県北津軽郡中泊町出身の元大相撲力士で、阿武松部屋に所属していました。本名は打越奎也(うてつ ふみや)で、1996年7月4日生まれです。身長176cm、体重165kgの体格を持ち、得意技は突き・押しでした。最高位は西小結で、2024年11月場所を最後に引退しました。その経歴を、幼少期から引退後まで詳しく見ていきましょう。
阿武咲奎也の幼少期からの相撲歴は?
阿武咲は、祖父の勧めで5歳から相撲を始め、地元の中里道場で腕を磨きました。幼少期からその才能は際立っており、阿武松部屋が主催する「キッズ阿武松」相撲教室にも通い、技術を高めました。
中泊町立中里小学校6年生の時には、全日本小学生相撲優勝大会で優勝する快挙を成し遂げます。その後も中泊町立中里中学校に進学し、全国都道府県中学生相撲選手権大会の無差別級で2年連続優勝という偉業を達成。中学生として史上初の快挙であり、彼の相撲の基礎となる実績を築きました。
阿武咲奎也の入門から関取昇進までの道のりは?
中学校卒業後、阿武咲は青森県立三本木農業高等学校に進学。高校1年生ながら全国大会で優勝するなど、早くもその実力を発揮しました。しかし、大相撲の世界を志した彼は、高校2年生の11月に退学して阿武松部屋に入門します。
2013年1月場所で初土俵を踏むと、徐々に番付を上げていきました。2014年11月場所では東幕下3枚目で5勝2敗と好成績を収め、2015年1月場所での新十両昇進を果たしました。十両昇進時の年齢は18歳6ヶ月。これは当時の現役力士の中で2番目の若さでした。
阿武咲奎也の幕内での活躍と三役昇進は?
2017年5月場所で新入幕を果たした阿武咲は、10勝5敗という好成績を挙げ、敢闘賞を受賞しました。この場所ではスピード感のある突き押し相撲で観客を沸かせ、大きな注目を集めました。
さらに、2017年11月場所では西小結に昇進。この時、21歳3ヶ月での新三役昇進は、平成以降初土俵の力士として6番目の年少記録でした。彼の若さと才能を証明する結果となり、今後の更なる活躍が期待されていました。
阿武咲奎也の怪我と復帰、その後の成績は?
2018年1月場所で右膝を負傷し、途中休場を余儀なくされた阿武咲。怪我の影響で一時は十両に陥落しましたが、2018年5月場所で12勝3敗の成績を収め、十両優勝を果たしました。この優勝により、翌場所で再び幕内に復帰しています。
その後も度重なる怪我に悩まされながらも、持ち前の粘り強さと突き押し相撲で白星を重ねました。金星も2個(白鵬1個、日馬富士1個)獲得しており、横綱相手にも臆せず立ち向かう姿勢が印象的でした。
阿武咲奎也の引退と現在の活動は?
2024年11月場所を最後に現役を引退した阿武咲は、12月18日に日本相撲協会へ引退届を提出しました。引退の理由には長年の怪我の蓄積があったとされています。引退後は相撲協会に残らず、次なる挑戦に向けた準備をしていると報じられています。
具体的な引退後の活動内容についてはまだ明らかにされていませんが、地元青森や相撲の普及活動への貢献が期待されています。
まとめ
阿武咲奎也は、青森県の小さな町から大相撲の世界へ飛び込み、幼少期から輝かしい実績を重ねてきた力士です。入門後は、持ち前のスピード感ある突き押し相撲で多くの観客を魅了しました。怪我と戦いながらも最高位の小結に昇進し、その名を歴史に刻みました。引退後の新たな挑戦でも、彼の熱意と努力が実を結ぶことを心から願っています。
大相撲の舞台を去った後も、彼の存在はファンの心に残り続けることでしょう。
よくある質問/Q&A
阿武咲奎也の四股名の由来は?
四股名「阿武咲」には、恩師が「土俵上で花が咲くように」という願いを込めたと言われています。
阿武咲奎也の得意技は?
得意技は突き・押しです。低重心を活かしたスピード感のある取り口が特徴でした。
阿武咲奎也の主な受賞歴は?
殊勲賞1回、敢闘賞3回、金星2個を獲得しています。
阿武咲奎也の趣味は?
趣味は釣りと音楽鑑賞で、特に釣りを好むことで知られています。
阿武咲奎也の家族構成は?
詳細な家族構成は明らかにされていませんが、年の離れた弟がいることが知られています。
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